長崎二十六聖人殉教の日の由来と面白い雑学、2月5日の今日は何の日?

2月5日の「今日は何の日?」は「長崎二十六聖人殉教の日」です。
また「長崎二十六聖人殉教の日」にちなんで「イエスキリストはどんな姿をしていた?」「ザビエルは日本に訪れた後どこへ向かった?」などキリスト教にまつわる面白い雑学を紹介します。

2月5日は長崎二十六聖人殉教の日

今回は「長崎二十六聖人殉教の日」について解説していきます!
なぜ2月5日が「崎二十六聖人殉教の日」なのかというと、1596年2月5日に豊臣秀吉のキリスト教弾圧によって長崎西坂で26人のキリスト教徒が処刑されたことが由来となっています。

この日に殉教したのはペトロ・バプチスタ神父ら外国人6人と三木パウロ、茨木ルドビコ神父ら日本人20人だったそうです。
殉教した26人については1862年にローマ教皇ピウス9世によって聖人に列せられています。

このようにして豊臣秀吉がキリスト教の弾圧を行った経緯については、現在でも明らかになっておらず、理由は諸説あるとされています。
当時、キリスト教は九州を中心にして広まっていき、九州の大名はポルトガルから武器や弾薬の輸入を行い、その代償として領地を与えていました。

そして、そのことにより多くの日本人が拉致されてしまい、海外へと奴隷として売り飛ばされてしまっていたとされています。
異宗教の力があまりに強くなっていき、豊臣秀吉にとっての脅威になってきたことから、キリスト教の弾圧が行われたのかもしれませんね。

キリスト教の雑学

今回は「長崎二十六聖人殉教の日」にちなんで「イエスキリストはどんな姿をしていた?」「ザビエルは日本に訪れた後どこへ向かった?」などキリスト教にまつわる面白い雑学を紹介します。