フルマラソンの距離が42.195kmになった理由!中途半端なのはなぜ?

今回は「フルマラソンの距離が42.195kmになった理由」ということで、マラソンにまつわる雑学を紹介します。
オリンピックなどの大会で行われるフルマラソン距離は”42.195km”と中途半端になっていて、不思議に思ったことはありませんか?

実はこの中途半端な距離が採用された理由は、とある人物のわがままによるものだったとされているのです。
また、現在ではフルマラソンの距離は固定されていますが、昔は大会によって走る距離が変わっていたのです。

フルマラソンの距離が42.195kmになった理由

フルマラソン距離理由ハーフマラソン
それではさっそくフルマラソンの距離が42.195kmになった理由について解説していきます。
冒頭でも解説しましたが、フルマラソンの距離が42.195kmとなったきっかけはとある人物のわがままだったのです。

そして、その人物は「イギリス王妃」であり、イギリス王妃の要望に応えようとした結果、とても中途半端な距離になったんですね。
それまでは特に規定はなく距離も統一されていなかったことから、大会によって走る距離はバラバラでした。

距離は毎回違った

全員が同じ距離を走るのならレースは成立しますし、確かに固定の距離にこだわる必要は全くないですよね。
それでは、過去に開催されたオリンピックでは、どれぐらいの距離が設定されていたのでしょうか?

近代オリンピックの第一回大会であるアテネオリンピックから遡ってみましょう。
・1896年 アテネオリンピック・・・36.75km
・1900年 パリオリンピック・・・40.26km
・1904年 セントルイスオリンピック・・・40km
・1908年 ロンドンオリンピック・・・42.195km
・1912年 ストックホルムオリンピック・・・40.2km
・1916年 ベルリンオリンピック・・・中止
・1920年 アントワープ・・・42.75km
・1924年 パリオリンピック・・・42.195km

このように、現在のように42.195kmという距離を走ることは珍しく、昔は距離がバラバラだったのです。
1916年のベルリンオリンピックについては、第一次世界対戦の影響を受けて中止となったそうです。

初めて42.195kmとなった大会

フルマラソン距離理由
初めてマラソンの距離が42.195kmとなった大会は1908年のロンドンオリンピックでした。
それでは、42.195kmという中途半端な距離を生み出してしまったイギリス王妃のわがままとは、どのようなものだったのでしょうか?

42.195kmとなった理由は”わがまま”

実はロンドンオリンピックについても、マラソンの距離が最初から42.195kmだった訳ではありません。
元々設定されていた距離は、イギリス国王が住んでいるウィンザー城から、ゴール地点であるシェファードブッシュ競技場までの41.843kmだったのです。

ところが、当時のイギリス王妃であるアレクサンドラのわがままを叶えようとした結果、距離が変わってしまったのです。
どのようなわがままだったのかというと、その内容は以下のものだとされています。

・選手達がスタートする瞬間を見たいから、スタート地点は白の中庭
・もちろんゴールの瞬間も目の前で見たいから、ゴール地点は競技場のブロック席の前

このわがままを叶えようとして、スタート地点がお城の前から、お城の中庭に変更することにしました。
また、ゴール地点についても、元々は競技場の入口付近を想定していましたが、王妃の座る席の前へと変更されたのです。

そのため、最初に想定した距離も少しだけ延長されることになり、最終的に42.195kmとなったんですね。
「42.195」という数字に語呂合わせが存在するようなことはなく、王妃のわがままに応えたら、たまたま42.195kmとなっただけなのでした。

大会運営が忖度したという説も

実はイギリス王妃のわがままではなく、大会運営が王妃に忖度したという説も存在しています。
元々のゴール地点は競技場の入り口付近となっていましたよね?

しかし、運営側が後になって「ゴールの瞬間ぐらいは王妃の前にしよう」と考えた結果、王妃の席の前をゴール地点に変更したとも言われているのです。
確かにいくらイギリス王妃といえども、一声でオリンピックのマラソンの距離を変えてしまうのは難しいかもしれません。

また、スタート地点を変更した事についても、王妃の意見は全く関係がなく、観客がランナーの邪魔をしないようにするためだと考えられています。
このように、42.195kmとなった理由は諸説ありますが、明確な理由は判明していないのです。

ロンドンオリンピック以降は?

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ロンドンオリンピックが開催された以降についても、すぐに42.195kmが定着した訳ではありませんでした。
1908年のロンドンオリンピック以降に行われたマラソンでは、以下の距離が設定されていました。

・1912年 ストックホルムオリンピック・・・40.2km
・1916年 ベルリンオリンピック・・・中止
・1920年 アントワープ・・・42.75km

ロンドンオリンピック以前の大会から距離が決まっていなかったように、しばらくは距離がバラバラの期間が続きました。
それでは、いつ頃から42.195kmという距離が定着したのでしょうか?

パリオリンピックで42.195kmを採用

その後、最初に42.195kmが採用された大会は、1924年に開催されたパリオリンピックでした。
パリオリンピックで42.195kmが採用されて以降の大会では、42.195kmという距離で統一されることになりました。

由来はドランドの悲劇

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それでは、パリオリンピックの主催者は、なぜロンドンオリンピックのマラソンの距離である42.195kmをそのまま採用したのでしょうか?
その由来はロンドンオリンピックのマラソンで起きた「ドランドの悲劇」にあると考えられています。

最初にゴール地点のシェファードブッシュ競技場に現れたのは、イタリア代表の「ドランド・ピエトリ」というランナーでした。
しかし、競技場までは辿り着いたものの、既に体力は限界を迎えており、ゴールを目前にして倒れこんでしまったのです。

その光景を見かねた会場の係員は手を貸し、ドランドはなんとか立ち上がって走り続けました。
75,000人という観客が注目する中、ドランドは何度も倒れては起き上がり、やっとのことでゴールをすることが出来たのです。

しかし、当然ですが係員の手を借りて走るのは反則ですし、2位でゴールしたランナーによって異議を申し立てられました。
その結果、ドランドは失格となってしまったのです。

ドランドの悲劇を忘れないため

最終的に失格になってしまいましたが、ドランドの一生懸命な走りは会場にいた多くの観客の胸を熱くさせました。
そして「ドランドの悲劇」は多くの反響を呼び、この日のドランドのレースは伝説となりました。

そのため、パリオリンピックでは「ドランドの悲劇を忘れないように伝えていくため」という理由で、42.195kmを採用したんですね。
現在でも42.195kmとなっているのは、どれだけ苦しくても決して諦めない、そんな不屈のランナーが由来となっていたのです。

以上が「フルマラソンの距離が42.195kmになった理由」についてでした。


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まとめ

フルマラソンの距離は最初から42.195kmとなっていた訳ではなく、元々は大会によってバラバラの距離を走っていた。
1908年のロンドンオリンピックでは、イギリス王妃のわがままを叶えようとした結果、初めて42.195kmという距離が誕生した。
その後も距離がバラバラの時代が続いたが、1924年のパリオリンピックでは再び42.195kmが採用された。
42.195kmが採用されたのは、ロンドンオリンピックの不屈のランナー「ドランド」の走りを忘れないためである。