スイカ割りにはルールがあり、三国志の時代から行われていた?

今回は「スイカ割りにはルール」と「スイカ割りの歴史」ということで、スイカ割りにまつわる雑学を紹介します。
夏になるとバーベキューでレクリエーションとしてスイカ割りをする機会がありますよね。

あまり知られていませんが、実はスイカ割りにはちゃんとした公式ルールが存在するってご存じでしたか?
また、スイカ割りの発祥については諸説ありますが、古いものだと三国志時代から行われていたとされているのです。

スイカ割りの公式ルール

スイカ割りにはルールがあり、三国志の時代から行われていた?
まずは「日本すいか割り推進協会認定版」のスイカ割りのルールについて解説します。
日本すいか割り推進協会ではスイカ割りを立派のスポーツとしているため、かなり細かくルールが設定されています。

以下のルールは日本すいか割り推進協会に掲載されているものです。

第1条 競技場所

1.競技場所は、どこでも楽しめるスポーツですが、できれば『砂浜』又は、『芝生の広場』が最適である。
2.すいかと競技者(割る人)の間の距離は、5m以上7m以内とする。

第2条 用具

1.棒は、直径5cm以内、長さ1m20cm以内の棒とする。
2.目隠し用として、手拭またはタオルを準備する。
3.すいかは、『日本国産すいか』を用いる。

第3条 競技者

1.競技者はすいかを『割る人1名』と『サポーター複数』で1組とし、キャプテンを決める。
『サポーター』は人数に制限はないが、『割る人』に対して『アッチだ』『ソッチだ』と的確なアドバイスを出さなければいけないので、事前に自分のサポーターの声を認識しておくこと。

2.審判員
審判員となるには、すいかが大好きであることを条件とする。
また、公正な道徳心を持つ健康な人であり、特に以下の設問に3問以上答えられる人する。
(1)すいかの一番甘い部分はどこか?
(2)すいかの水分はどのくらい?
(3)おいしいすいかの見分け方は?
(4)すいかの種ってどのくらいあるか?
(5)すいかの原産地は?

第4条 競技の開始

1.審判員は、距離と用具を確認する。
2.割る人の目隠しを確認する。この時、相手チームのキャプテンを同席し了解を得る。
3.フォーメーションローリング(スタートする時の回転)を行う。回転方向は右回りで、回転数は5回と2/3回転とする。

第5条 競技の進行

1.競技者(割る人)の持ち時間は1分30秒とする。審判員は、競技終了30秒前と10秒前に報告する。
2.サポーターからのアドバイスにおいて、以下の行為を禁止する。
(1)競技と関係のないアドバイス
(2)競技者を中傷するような言動
(3)すいかの真後ろに立って「私の声のする方へ」という指示

3.1人の競技者が終了したら、第6条により勝負の判定を行う。
4.勝負の判定が終わったら、次に、相手チームとスムーズに交代する。

第6条 勝負の判定

1.すいかに当たらなかった場合、時間内であれば3回まで棒を振ることができる。
2.以下の点数表を参考に審判員が点数をつける。
■空振り・・・0点
■すいかに当たった・・・1点
■すいかにひび割れができた・・・2~4点(ひび割れの程度による)
■すいかの赤い果肉が見えた・・・5~10点

第7条 後始末

1.勝ったチームは、すいかを食べる権利があり、負けたチームは、残ったら食べることができる。
2.競技場所は、勝負の勝ち負けに関係なく、きれいにしゴミは持ち帰ること。

スイカ割りの歴史

スイカ割りにはルールがあり、三国志の時代から行われていた?
続いて、スイカ割りの発祥や歴史について解説していきます。
実はスイカ割りの発祥については定かになっておらず、その発祥については諸説あります。

昔は生き埋めにした人の頭を割っていた

その昔、生き埋めにした人の頭を割っていたことに由来するという説です。
古来の中国では人間を生きたまま砂に埋めて頭だけ出した状態にし、叩き割るという残酷な儀式があったそうです。

その残酷な儀式を見た三国志時代の有名な軍師「諸葛亮孔明」は、代わりにスイカの頭を使うように提案しました。
そして、この儀式がルーツとなって、現代のスイカ割りが誕生したとされています。

豊臣秀吉が考案した

スイカ割りが豊臣秀吉によって考案されたという説も存在しています。
織田信長らの命令により、秀吉が安土城の築城に着手していたころのお話で、部下の士気を高めるためにスイカ割りを始めたとされているのです。

安土城の建築は夏の暑い日にも続けられていたため、部下達の元気がなくなってしまい、それを見かねた秀吉が考案したんですね。
夏バテでもスイカならたくさん食べられますし、一種のレクリエーションのようなものなので、さぞかし現場の士気も上がったことでしょう。

宮本武蔵が最初に始めた

宮本武蔵が最初にスイカ割りを始めたという説です。
楽しいからスイカ割りを行っていた訳ではなく、佐々木小次郎との対決後に佐々木小次郎の霊が出現して武蔵を悩ませるようになったためだとされています。

そこで、スイカを佐々木小次郎に見立てて叩き割ることで、佐々木小次郎の霊を鎮めようと考えたのです。
これが由来になってスイカ割りとなったのですが、逆に佐々木小次郎の霊を怒らせてしまいそうですよね。

居合抜きのパフォーマンスとして行われた

現代でも居合抜きで畳を巻いたものを切るというパフォーマンスが行われていますが、武士の時代も野菜や果物を居合抜きで切るパフォーマンスがありました。
そして、普通に果物を切るだけではつまらないため、目隠しをしてスイカを居合抜きで切るというパフォーマンスが誕生しました。

目隠しをする点も現代のスイカ割りと同じであり、これが由来でスイカ割りが誕生したとされています。

恋占いから始まった

京都の地主神社で行われている恋占いが由来だとする説です。
地主神社には恋占いの石という意思が設置されており、10メートル離れたところから目隠しをして辿りつくことが出来れば、恋が成就するという言い伝えがあります。

離れたところから目隠しをして目的の場所へ辿り着くという点ではスイカ割りと一緒のため、この恋占いがスイカ割りの発祥となったとされています。
以上が「スイカ割りにはルール」と「スイカ割りの歴史」についてでした。


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まとめ

スイカ割りは日本すいか割り推進協会によって定められたルールが存在する。
また、スイカ割りの発祥は諸説あり、三国志時代に軍師「諸葛亮孔明」が考案したという説、豊臣秀吉によって考案されたという説がある。
他にも、宮本武蔵が佐々木小次郎の霊を鎮めるためにスイカを割ったという説、居合抜きのパフォーマンスとして始まった説、京都の地主神社の恋占いから始まったという説もある。