今回は「マラソンの由来と語源」ということで、マラソンにまつわる雑学を紹介します。
現代では健康目的でマラソンが楽しまれたり、市民マラソンの参加も抽選が行われるなど、人気のスポーツとなっていますよね。
また、オリンピックでは陸上競技の最終日に行われることから、まさに花形の競技として知られています。
そんな「マラソン」ですが、実はこの競技が誕生したのは意外と最近のことで、そのルーツは古代の戦場にあるのです。
マラソンの由来と語源
それではさっそく「マラソン」という言葉の語源や競技の由来について解説していきます。
冒頭でも解説しましたが、実は「マラソン」とは古代ギリシャで行われた戦争に由来があります。
紀元前490年、ダリウス1世がペルシャを治めていた時代、ギリシャへと侵攻するために数万のペルシャ軍を派遣しました。
そして、ペルシャ軍が布陣をした場所こそが、アテネの近くにある「マラトン」と呼ばれる地域だったんですね。
ギリシャ軍はこれを迎え撃つために一万ほどの兵士を送りましたが、圧倒的に数で劣る戦いを強いられることとなりました。
マラトンの地で大激戦が繰り広げられた結果、なんとかギリシャ軍はペルシャ軍を撃退し、勝利を収めることが出来たのです。
この戦いは後に「マラトンの戦い」と呼ばれるようになりました。
伝令兵がマラソンの始まり
そして、ペルシャ軍に勝利したギリシャ軍は、勝利の一報をアテネへと届けるために伝令兵を派遣しました。
この時、伝令兵として選ばれたのは「フェイディビデス」という名前の兵士であり、アテネまで勝利の一方を伝えるために走ったことがマラソンの起源となりました。
フェイディビデスは戦いによる傷も癒えぬまま、アテネまでの約36kmの過酷な道のりを走り続けました。
現在のように舗装された道路がある訳ではないため、当時の約36kmという距離を走ることはかなり過酷なことでした。
やっとの思いでアテネに到着したフェイディビデスは、最後の気力を振り絞ってギリシャ軍の勝利を叫びました。
しかし、既に満身創痍だったことから、伝令としての役目を終えるとそのまま息絶えてしまったのでした。
近代のマラソンの起源
やがて、時代は流れて1896年には第一回の近代オリンピックであるアテネオリンピックが開催されることになりました。
そして、フランス人のブレアルの提案により、初めて「マラソン」と呼ばれる競技が行われたのです。
近代マラソンの起源となったのは先ほど解説した「マラトンの戦い」であり、この故事にちなんで「マラソン」という長距離レースが誕生したんですね。
その頃から約40kmの距離のコースを走っていましたが、この距離もフェイディビデスが走った距離に則っています。
ちなみに「マラトン」を英語読みにしたものが「マラソン」だったため、現在でも競技名は「マラソン」となっています。
過酷な距離を懸命に走る姿は人々の心を打ち、現在でもオリンピック陸上競技の最終日を飾る花形競技となっています。
現代の過酷なマラソン
更に時代は流れて、マラソンは様々な形で楽しまれるようになりました。
走ることを楽しむ市民マラソンも登場しましたが、逆により過酷なマラソンも開催されるようになったのです。
世界一過酷なマラソンとして知られているのは「南極アイスマラソン」であり、文字通り南極の地を走るマラソンとなっています。
2006年に第一回の南極アイスマラソンが開催されて以降、2019年現在でも毎年のように開催されています。
南極アイスマラソンは苛烈を極め、マイナス10度~20度の標高900メートルにある道のりを100km走るという内容になっています。
当然ながら何日にも分けて走らなければならず、下手したら死人が出てしまいそうなほど過酷なマラソンとなっています。
また、南極マラソンに参加するためには「サハラ砂漠」「アタカマ砂漠」「ゴビ砂漠」で開催される世界三大砂漠マラソンを走破する必要があります。
これらの砂漠を走破するだけでも大変なため、南極アイスマラソンに参加できるのは、一部の限られた強靭な精神と肉体を持つ人だけなのです。
以上が「マラソンの由来と語源」についてでした。
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まとめ
マラソンの起源となったの「マラトンの戦い」と呼ばれる戦争である。
アテネに侵攻しようとしたペルシャ軍と、迎え撃つギリシャ軍がマラトンの地で戦い、最終的にはギリシャ軍が勝利した。
ギリシャ軍の勝利の一方を伝えようとしてアテネの町まで走った伝令兵は、勝利を宣言するとそのまま息絶えた。
この故事にならって、近代オリンピックの第一回であるアテネオリンピックで「マラソン」という競技が誕生した。