当時の節分(立春)は現在でいうところの大晦日にあたるため、宮中では「追儺(ついな)」と呼ばれる行事が行われていました。
これは、陰陽師によって旧年の厄や災難を祓うための行事であり、豆まきの原型となる行事となりました。
また、鞍馬山の奥にある僧正ヶ谷に住んでいた鬼が、悪さをしようとして都に度々現れていたそうです。
その鬼に対して豆を投げたところ、その豆が鬼の眼に当たり、鬼の撃退に成功したとも言われています。
これらのが豆まきの由来となっています。
このように、奈良時代には厄除けの儀式として始まり、平安時代に豆まきの原型が出来たというわけですね!
中国から伝わったという説
また、豆まきは中国の風習が伝わったという説もあります。
豆は「魔滅(まめ)」と書くことができ、無病息災の効果も期待されていました。
中国から伝わった「魔滅(まめ)」を信じて、悪さをしにきた鬼にめがけて豆を投げて撃退出来たことから、豆まきの風習が出来たということです。
日本で誕生したのではなく、中国から伝わったものを日本人が使い始めたという説ですね!
豆まきが一般的な行事へ
時代が進んで室町時代には現在でも使われている「鬼は外、福は内」という言葉が使われるようになりました。
そして、更に時代は進んで江戸時代中期、節分の豆まきはお寺の行事として行われるようになりました。
お寺の行事のため、最初はお寺で豆まきが行われていましたが、この事をきっかけとして多くの人に豆まきの風習が伝わることとなり、豆まきがより一般的なものとなっていきました。
その後、江戸時代の後期になるのにつれて豆まきが行われなくなっていきましたが、明治時代の後期にはまた豆まきが行われるようになりました。
豆まきは炒った豆で行う
豆まきに使う豆は炒った豆じゃないといけないのは知っていましたか?
これは、生の豆をまいた後に広い忘れてしまい、その豆から芽が出る事が縁起が悪いとされているからです。
また「炒る」は弓矢で「射る」などの意味にも通じているため、「炒る」方が鬼すなわち病魔などによく効くとされています。
更に陰陽五行説と呼ばれる「木」「火」「土」「金」「水」の五行がありますが、鬼と豆はこれの「金」にあたります。
この「金」の作用を滅する意味をもつ「火」で豆を炒ることにより、鬼を封じ込める効果が高まるとされていました。
そして、最後に鬼を退治した豆を人間が食べる事により、鬼退治を完璧に完了としたのです。
以上が節分の雑学と豆まきの由来でした!
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