牛若丸が一本歯の下駄を履いていた理由
五条の大橋で牛若丸と武蔵坊弁慶が決闘したという伝説は有名ですよね。
そして牛若丸といえば華麗な身のこなしで弁慶の攻撃をかわして戦ったとされていますが、牛若丸って一本歯の下駄を履いていますよね。
そもそも二本歯の下駄ですら歩きづらいのに、どうして弁慶と戦う時に一本歯の下駄を履いていたのでしょうか。
実は一本歯の下駄については山を登るために発明されたものなのです。
実際に登山をしてみると二本歯の下駄よりも一本歯の下駄の方が斜面に歯の部分が引っ掛かりやすく、登りやすいのだそうです。
そして、なぜ弁慶との戦いで牛若丸が一本歯の下駄を履いていたのかというと、鞍馬山で修行をしていたためだとされています。
しかし、いくら修行中だったとはいえ、平地で一本歯の下駄で戦うよりは「素足の方が戦いやすかったのでは」と思ってしまいます。
下駄は弥生時代から存在していた
下駄の歴史はとても古く実は弥生時代から存在していたって知っていますか?
弥生時代までの太古の人はもちろん靴などは履いていなくて、当たり前のように素足で生活していました。
そして、弥生時代になると履物が上層階級のみに許されたものとして誕生し、邪馬台国があったとされている遺跡からも田下駄が発見されています。
この時代の下駄は一般的な履物として普及しているのではなく、高貴な身分の人の履物か水田などの農作業の時に使われていたようです。
また、当時の下駄は既に左右どちらの足で履くのか区別された下駄もあったそうす。
下駄は日本古来からの履物だというのは知られていますが、まさか2000年近く前の弥生時代から履かれているものだったとは驚きですよね。
以上が下駄の雑学でした、いかがでしたか?
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