今回は「唐揚げの語源・由来」にまつわる雑学を紹介します。
皆さんは「唐揚げ」といえば「鶏の唐揚げ」を想像するかもしれませんが、実は昔の唐揚げは現在の唐揚げとは全く異なる料理でした。
また、唐揚げについて「カラッと揚げたから唐揚げ」という情報も出回っているようですが、これについても違います。
それでは「唐揚げ」にはどのような語源・由来があり、いつ頃から日本で食べられていたのでしょうか?
唐揚げの語源や由来
それではさっそく「唐揚げ」の語源や由来について解説していきます。
唐揚げが伝わったのは江戸初期
「唐揚げ」という食べ物が日本へ伝来したのは江戸時代初期の頃だったとされています。
当時、既に日本にも揚げ料理が存在しており、唐揚げという料理は中国から伝わったことが語源・由来で「唐揚げ(からあげ、とうあげ)」と呼ぶようになりました。
そして、現代では唐揚げといえば鶏の揚げ物となっていましたが、当時の唐揚げは現在とは全く異なる料理でした。
当時の唐揚げは豆腐を小さくきって油で揚げたものを、醤油や酒で煮た料理だったんですね。
唐揚げに近い調理法は存在していた
当時の唐揚げに対して日本でも、現代の唐揚げに似た魚介類や野菜類を素揚げにした料理、小麦粉をまぶしてあげる調理方法は存在していました。
その当時は小麦粉をまぶして揚げることを「煎出(いりだし)」や「衣かけ」と呼んでいたそうです。
また、素材そのものを素揚げしたものについては、何も付けずにそのまま揚げていたことから「空揚げ」と呼ばれていたのです。
現代の唐揚げが誕生したのは最近
現代のような唐揚げが外食メニューとして初めて誕生したのは、つい最近のことであり、1932年頃だったとされています。
2019年現在も老舗レストランとして営業をしている三笠会館の前身である「食堂・三笠」で提供されたことがきっかけでした。
三笠会館が創業されたのは大正14年のことでしたが、創業当時は食堂ではなく「かき氷屋・三笠」として営業をしていました。
1927年にはカレーライスやサンドイッチなどが提供されるようになり、「食堂・三笠」として順調に売り上げを伸ばしていきました。
1932年には銀座一丁目に鶏料理専門の支店を構えるまでに成長を遂げましたが、支店は売り上げが伸び悩んでしまい、その影響は本店にまで及びました。
そこで、なんとかこの営業不振を脱しようとして考案されたのが、現代でもよく知られている「若鶏の唐揚げ」だったんですね。
営業不振だった支店が偶然にも鶏料理専門だったことも、「若鶏の唐揚げ」の誕生のきっかけの一つとなりました。
2019年現在も三笠会館では「三笠会館伝統の骨付き鶏の唐揚げ」として、当時のレシピそのままに若鶏の唐揚げが提供されています。
家庭に根付いたのは戦後
外食メニューとして登場した唐揚げですが、実は家庭で食べられるようになったのは戦後のことでした。
太平洋戦争で敗北した日本は食糧難に陥ったことから、国を挙げて養鶏場を作るようになりました。
鶏が食料として順調に流通するようになると、鶏を美味しく食べる調理法として「唐揚げ」が広まっていきました。
そして、若鶏の唐揚げは日本の食卓に急速に普及していったことが由来で、現代では「唐揚げ」といえば「若鶏の唐揚げ」を意味するようになったのでした。
現代では当たり前のように食べられており、調理方法も単純なことから、唐揚げは伝統料理だと思われるかもしれません。
しかし、家庭で作られるようになったのは以外にも最近のことで、家庭に並ぶようになって数十年しか経過していないのです。
以上が「唐揚げ」の語源や由来についてでした。
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まとめ
唐揚げは江戸時代初期の中国から伝わった料理であることが語源・由来となり、「唐揚げ(からあげ、とうあげ)」と呼ばれるようになった。
当時の唐揚げは現代の料理とは異なっており、豆腐を小さくきって油で揚げたものを、醤油や酒で煮た料理だった。
現代の唐揚げが外食メニューとして登場したのは1932年のことで、「食堂・三笠」の営業不振を打開する料理として「若鶏の唐揚げ」が考案されたことがきっかけだった。
家庭の食卓に唐揚げが登場するようになったのは戦後のことであり、国の政策で養鶏場がたくさん作られ、鶏を美味しく食べることができる料理として唐揚げが普及していった。