チャップリンの暗殺を日本が企てていたが、天ぷらが理由で逃れた。

今回は「チャップリンは日本で暗殺されるところだった」ということで、チャップリンにまつわる雑学を紹介します。
現代の日本では”暗殺”なんて物騒なワードはほとんど耳にしませんでしたが、戦時中は暗殺事件が起こる危険な時代でした。

そして、チャップリンが来日した際には、なんとチャップリンを暗殺しようという計画も企てられていたのです。

チャップリンの暗殺計画

それではさっそくチャップリンの暗殺計画について、詳しく解説していきます。
そもそも、喜劇王として知られているチャップリンが暗殺されそうな理由はどこにも見当たらないため、なぜ暗殺が計画されたのかが不思議ですよね。

暗殺が計画された理由

まずはチャップリンの暗殺が計画された理由ですが、当時の日本の軍国主義に関係がありました。
当時の日本は軍が圧倒的な力を持っており、国民にも軍隊のような厳しい規律が求められていました。

そのため、軍隊から見れば、チャップリンは日本に退廃文化をもたらした人物であり、当時の軍国主義の日本には好ましくない人物だったのです。
退廃とは道徳や気風が乱れることを意味し、まさに当時の軍隊が国民に求めていたものとは真逆のものですよね。

実行日は5月15日を予定

チャップリンの暗殺は5月15日の夜に予定されていました。
この5月15日でピンと来た方も多いかもしれませんが、この日は五・一五事件が発生した日なんですね。

五・一五事件とは海軍将校らがクーデターを起こし、内閣総理大臣の犬養毅を暗殺した事件です。
そして、このクーデターの実行日にちょうどチャップリンも来日していたため、ついでにチャップリンも暗殺してしまおうと考えたんですね。

また、チャップリンは5月15日には首相官邸を訪れて晩餐会に出席する予定となっていました。
そのため、犬養毅も必ずその日は首相官邸にいるということで、同時に暗殺するためにはちょうど良いタイミングだったのです。

天ぷらのおかげで助かった?

それではなぜチャップリンが暗殺から逃れたのかというと、天ぷらのおかげだったとされています。
何を思ったのか、チャップリンは晩餐会の当日になって急に天ぷらが食べたいと言い出し、それで首相官邸へ行かなかったのです。

5月15日の朝には犬養毅の息子から出席確認の電話があり、出席すると返事をしていましたが、夕方には天ぷらを理由にドタキャンしたんですね。
この気まぐれが幸いして、偶然にもチャップリンは暗殺から逃れられたのでした。

暗殺から逃れた説には諸説あり、相撲見たさに晩餐会の出席をキャンセルしたという説も存在しています。
この説によると、五・一五事件発生当時チャップリンは、相撲観戦後で散歩を楽しんでいたとされています。

また、体調不良を理由に欠席、忙しくて疲れて機嫌が悪かったから欠席、などの説もありますが、いずれにせよチャップリンが幸運の持ち主だったことがわかりますよね。
以上が「チャップリンの暗殺計画」についてでした。


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まとめ

チャップリンは「日本に退廃的な文化をもたらした」という理由から、日本で暗殺することが計画されていた。
暗殺の実行日は5月15日であり、犬養毅と共に首相官邸で暗殺する計画だった。
しかし、チャップリンが天ぷらが食べたいという理由から晩餐会をキャンセルしたことから、暗殺から逃れることが出来た。
他にも相撲完成に行っていた、体調不良だった、疲れて機嫌が悪かった、など晩餐会をキャンセルした様々な説が残っている。