今回は「甲子園球場がツタで覆われている理由」ということで、甲子園球場にまつわる雑学を紹介します。
甲子園球場は外壁がツタで覆われているという、とても独特な外観をしていますよね。
外壁をツタで覆うことによって、太陽光などの熱さから甲子園球場を守っていると考える人も多いようですが、本当の理由は違います。
実は、甲子園球場の外壁をツタで覆ったのは「手っ取り早く外国っぽくしたかったから」だったのです。
目次
なぜ甲子園球場はツタで覆われている?
甲子園球場がツタで覆われている理由について、甲子園球場の歴史を振り返りながら解説していきます。
甲子園球場の建設のきっかけ
甲子園球場が建設されたのは、1924年のことでした。
甲子園球場を作ったのは阪神電鉄でしたが、当時の阪神電鉄には阪急電鉄という強力なライバルがいました。
阪神電鉄が大坂と神戸を結ぶ路線を開通させる一方で、阪急電鉄は大阪と宝塚を結ぶ路線を開通させ、宝塚や温泉を中心に着々と事業を拡大していきました。
やがて、阪急電鉄も大坂と神戸を結ぶ路線を開通させて勢力を拡大し、ますます阪急電鉄は勢いづいていったのです。
そこで、阪神電鉄はライバルである阪急電鉄に負けないように、当時人気のあった高校野球に着目して、阪神電鉄を発展させようと考えたんですね。
つまり、阪神電鉄沿いに野球のテーマパークを作ることによって、たくさんの人に阪神電鉄を利用してもらおうとしたことがきっかけで甲子園球場が誕生したのです。
甲子園球場は4ヵ月半で作られた
甲子園球場の設計が終わったのは1924年の3月のことでしたが、夏の高校野球に間に合わせるために、急ピッチで建設が行われました。
現在でも新しい球場を作るためには1年以上の期間を必要としましたが、なんと当時の技術で4ヵ月半で甲子園球場を完成させてしまったのです。
建設は24時間無休で行われ、時には牛などの動物の力も借りて作業は進められました。
そして、突貫工事だったにも関わらず、強度の高いコンクリートで作られた、頑丈な野球場が完成したのでした。
近くの川には良質な川砂がたくさんあったため、この川砂が頑丈なコンクリートの製造に役立ったそうです。
完成した球場の客席は前後に広く作られており、勾配もなだらかでグラウンドが見やすいことから、野球観戦にはぴったりの球場となりました。
手っ取り早く外国感を出そうとした
しかし、4ヵ月半で甲子園球場が完成したものの、外壁はコンクリートが丸出しの状態となっていました。
ライバルの阪急電鉄は宝塚や温泉など華やかなイメージで発展したのに対して、阪神電鉄はその時点で見た目で劣っていたのです。
そのため、阪神電鉄はどうにかして阪神甲子園球場をオシャレにして、華やかな場所にしたいと考えました。
そこで、考え出されたアイディアが「ツタで球場の外壁を覆う」というものだったのです。
このアイディアはヨーロッパの古城の外壁がツタで覆われていたことをヒントに考案されたもので、「ツタで覆われた外壁=ヨーロッパ風」と考えられたんですね。
更に、ツタは外壁に沿って植えて育てるだけのため、手間がかからず安上がりで、手っ取り早く外国寒を演出するのにうってつけだったのです。
現在のツタも最初のツタの子孫
実は2019年現在も甲子園球場を覆っているツタは、1924年に植えられたツタの子孫がそのまま使われています。
甲子園球場のツタは2006年には一旦は伐採されることになりました。
しかし、その際にツタの苗木を配布し、全国の高校生に甲子園球場のツタを育ててもらったのです。
そして、2008年には高校生によって育てられたツタがそのまま外壁に戻されて、現在に至っているという訳ですね。
ツタに覆われていることによって外国感が出たかどうかはわかりませんが、現在の甲子園球場の独特な風情を演出しているのには変わりありませんよね。
以上が「甲子園球場がツタで覆われている理由」についてでした。
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まとめ
甲子園球場がツタで覆われている理由は「手っ取り早く外国感を出したかったから」である。
阪神電鉄のライバルの阪急電鉄が着実に発展していたことから、阪神電鉄も野球場を作って利用客を増やそうと考えて建設された。
当初は球場の外壁がコンクリートむき出しの状態となっていたが、ヨーロッパの古城をヒントにしてツタで覆うことによって外国感を出すことが考案された。
2019年現在も、甲子園球場が建設された当初に植えられたツタの子孫が、球場の外壁を覆っている。