今回は「金平糖の語源と由来」ということで、金平糖にまつわる雑学を紹介します。
金平糖は見た目の可愛さと素朴な甘さで食べやすいことから、現代でも密かな人気を誇っています。
そんな金平糖はその名前から日本で誕生したお菓子だと思われがちですが、実は海外から日本に伝わったものなのです。
それではなぜ日本で「金平糖」と呼ばれているのか、その語源や由来についてわかりやすく解説していきます。
目次
金平糖の由来
それではさっそく「金平糖の由来」について解説していきます。
冒頭でも軽く解説しましたが、金平糖は実は日本で生まれたお菓子ではなく、戦国時代にポルトガルから伝わった南蛮菓子なのです。
金平糖はキリスト教の宣教師である「ルイス・フロイス」によって日本にもたらされ、二条城で織田信長に謁見した際に献上されました。
そのため、金平糖を初めて食べた日本人は織田信長だと考えられています。
また、「ルイス・フロイス」といえば、豊臣秀吉にも謁見したことがあり、その時の様子を著書である「日本史」に記しています。
その中で豊臣秀吉に対しての印象を「身長が低く、醜悪な容貌の持ち主だった。」と綴ったのはあまりにも有名ですよね。
金平糖の語源
少し話はそれましたが、続いては「金平糖の語源」について解説していきます。
金平糖はいかにも日本語っぽいですが、語源はポルトガル語の「コンフェイト」だとされています。
「コンフェイト」は日本語に訳すと「球状の砂糖菓子」という意味を持ちます。
そして、この「コンフェイト」が訛って「こんぺいとう」となり、漢字で「金平糖」という当て字にしたんですね。
なぜ「金平糖」という漢字が当てられたのかについては、金平に「強い」という意味があることが由来だとされています。
金平糖を食べた時に強い甘みを感じたたため、「強い甘みの砂糖=金平糖」となったのです。
金平糖の作り方
続いて、金平糖の作り方について解説していきます。
実は金平糖を作るためには専用の機器が必要であり、綺麗な形を作るためには職人の技術が必要なのです。
材料となる砂糖を溶かす
まずはグラニュー糖を用意して、大きな鍋に入れてかき回していきます。
かき回す段階でグラニュー糖が完全に溶けてしまわないように注意する必要があり、完成した液体は「糖蜜」と呼ばれます。
糖蜜をザラメに振りかける
続いて「ドラ」と呼ばれる斜めに傾いた大きな鍋に、金平糖の中心部分であるザラメを入れます。
ドラは回転するようになっているため、火で熱して糖蜜を掛けながら、ゆっくりと回転させてかき混ぜていきます。
この時に糖蜜に偏りが出来てしまうと綺麗な形にならず、また、気温や湿度によっても糖蜜の量や火力を調節する必要があります。
このように、金平糖をきれいに形作るためには専門的な知識が必要であり、職人の技術も求められるのです。
トゲトゲになるまで続ける
糖蜜にザラメを振りかけてかき回し、乾かしては糖蜜を振りかける作業を続けると、中心部分のザラメに糖蜜がまとわりついてトゲトゲが形成されていきます。
そして、この工程を延々と繰り返し続け、約2週間が経過したころには、ようやく金平糖が完成します。
金平糖がトゲトゲになる理由
金平糖が作られてからしばらくの間、実は金平糖がトゲトゲの形になる理由はわかりませんでした。
現在でもはっきりとした理由はわかっていませんが、一説では金平糖を作るドラの形に関係があると考えられています。
ドラは斜めに傾いていることから、金平糖が上から下へコロコロと転がることが繰り返されます。
この時に、熱したドラに触れている面の糖蜜だけが渇いて硬くなり、少しだけ盛り上がります。
そして、盛り上がった部分は次に糖蜜を掛けた時に、より糖蜜がまといやすくなります。
これが繰り返されることによって、少しずつ金平糖のトゲトゲが形成されていくと考えられています。
金平糖職人は減少している
実は金平糖を作る職人さんは年々減少しているそうです。
金平糖を作るためには専門的な知識や技術が要求されますが、それ以上に金平糖作りが過酷なためなんですね。
金平糖を作る工場では常にドラを熱していることから、冷房をつけても全く効かないほどの暑さとなっています。
そして、熱したドラの前に立ち続け、それを二週間を繰り返すことから、暑さで鼻血を出してしまうこともあるそうです。
こうした過酷な金平糖作りをしようとする若者が減っていることから、現在では金平糖を製造する会社や工場もその数を減らしているのでした。
以上が「金平糖の語源と由来」と「金平糖の作り方」についてでした。
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まとめ
金平糖はポルトガル人の宣教師である「ルイス・フロイス」によって戦国時代にもたらされた。
語源はポルトガル語で「球状の砂糖菓子」を意味する「コンフェイト」であり、これが訛って「金平糖」となったと考えられている。
金平糖は専門的な知識と技術が要求されることから、職人の手でしか作ることが出来ない。
しかし、金平糖作りがあまりにも過酷であることから職人の数が減っており、金平糖を製造する工場や会社も数を減らしている。