新元号である「令和」の意味や由来、どのような願いが込められているのかについて解説します。
これまで制定されてきた元号についてもそれぞれ意味や由来がありましたが、今回の「令和」にはどのような意味が込められているのでしょうか?
目次
令和の意味や由来
新元号である「令和(れいわ)」については、「万葉集」が出典となっています。
万葉集の中でも梅の花の唄の三十二首の序文から引用され、以下の唄から引用されたものとなっています。
初春の令月にして、氣淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す
安倍首相の談話によると令和には「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込められているそうです。
また「厳しい冬の後には梅の花のような美しい花を、日本国民の一人一人が咲かせられるように」という願いも込められています。
そして「希望に満ち溢れた時代を国民と一緒に切り開いていく」という願いも語られました。
また「広く国民に受け入れられて、生活に深く根差すことを願う」とも語られていました。
なぜ万葉集から令和が採用された?
史上初めて国書から元号が制定されましたが、これは「万葉集が身分に関係なく貴族から庶民まで参加して作られた歌集だったため」です。
つまり「万葉集は豊かな国民文化を象徴している」ということが由来となっているんですね。
明治時代以降の元号の意味・由来については以下の記事にて解説しています。
令和の発表までの経緯
続いて「令和」の発表までの経緯について解説していきます。
「令和」の元号案については、政府から正式委嘱された国文学、漢文学、日本史、東洋史などの学識者によって考案されたものです。
学識者に正式委嘱されたのは2019年3月14日のことで、それぞれ2~5個の元号案を提出するように求められていました。
そして、提出された元号案の中から更に絞り込んだ結果、「令和」が採用されたんですね。
令和の絞り込みの流れ
「令和」の絞り込みの流れについて解説していきます。
学識者によって考案された元号案は、菅義偉官房長官によって数案程度まで絞り込まれました。
そして、絞り込まれた元号案については、万が一にも情報が漏洩することがないように、古谷一之官房副長官補の部屋の金庫で厳重に保管されていました。
当日である4月1日は「令和」の発表にあたり、まずは9時半から元号に関する有識者懇談会が開かれました。
有識者懇談会では出席したメンバーに、菅義偉官房長官が複数の元号案を提示して意見の聴取が行われました。
その後、10時20分ごろから衆議院と参議院の正副議長にも意見の聴取があり、最終的には全閣僚会議にて新元号が「令和」に決定されました。
令和の絞り込みに参加したメンバー
続いて「令和」の絞り込みに参加したメンバーについて解説していきます。
今回の改元にあたって、菅義偉官房長官に新元号「令和」について意見聴取を受けたメンバーは以下の通りです。
■有識者懇談会メンバー
上田 良一(NHK会長)
大久保 好男(日本民間放送連盟会長)
鎌田 薫(日本私立大学団体連合会会長)
榊原 定征(前経団連会長)
白石 興二郎(日本新聞協会会長)
寺田 逸郎(前最高裁長官)
林 真理子(作家)
宮崎 緑(千葉商科大教授)
山中 伸弥(京大教授)
有識者懇談会メンバーについては以上の9人で検討されていたそうです。
「平成」のを決定する際の有識者懇談会に参加した女性は1人だけでした。
しかし、今回の「令和」を決定する際の有識者懇談会には女性が2人参加しています。
これは、安倍政権が女性の活躍を掲げているため、その配慮だとしています。
■衆参議院の正副議長
大島 理森(衆議院議長)
赤松 広隆(衆議院副議長)
伊達 忠一(参議院議長)
郡司 彰(参議院副議長)
■第4次安倍改造内閣 閣僚
安倍 晋三
麻生 太郎
石田 真敏
山下 貴司
河野 太郎
柴山 昌彦
根本 匠
吉川 貴盛
世耕 弘成
石井 啓一
原田 義昭
岩屋 毅
菅 義偉
渡辺 博道
山本 順三
宮腰 光寛
平井 卓也
茂木 敏充
片山 さつき
櫻田 義孝
西村 康稔
野上 浩太郎
杉田 和博
横畠 裕介
令和の選定基準
続いて「令和」の選定基準について解説していきます。
「令和」の絞り込み作業については、以下の選定基準のもとで行われました。
・国民の理想としてふさわしいような良い意味を持つ
・漢字二文字
・書きやすい
・読みやすい
・これまでに元号またはおくり名として用いられていない
※おくり名は死後に贈られる名前のこと
・俗用されていない
今回採用された「令和」はやはり全ての選定基準を満たしていますよね。
また、明確な選定基準として公表されていた訳ではありませんが、頭文字となるアルファベットが過去の元号と重なることも避けたとされています。
過去の元号のアルファベットと重複してしまうと、諸々の役所の手続きなども面倒になってしまいますよね。
ちなみに平成は?
ちなみに「平成」という元号が決定された時も今回の「令和」と同じ選定基準が採用されていました。
他にも「修文」や「正化」などの候補がありましたが、頭文字のアルファベットが昭和の「S」と重複することから「平成」となったそうです。
実は元号があるのは日本だけ
実は「元号」という制度が存在しているのは、世界中を探しても日本だけだってご存じでしたか?
元号という制度は中国が前漢の武帝の時代(紀元前115年)から始まったものであり、初の元号は「建元」でした。
そして、この元号という制度が日本に伝わって、日本でも645年に最初の年号である「大化」が制定されたんですね。
しかし、中国は1911年に辛亥革命によって清が倒れると一時的に元号が廃止されました。
その後、元号制度が一度は復活しましたが、1945年の満州国の滅亡によって完全に元号が廃止されることになりました。
そのため、2019年現在で元号という制度があるのは、世界中どこを探しても日本だけとなっているのです。
日本についてもかなり古くから元号が存在していましたが、なんと元号が庶民的になったのは江戸時代になってからのことだったそうです。
今回の改元で新元号である「令和」にもかなりの注目が集まりましたが、昔の庶民はそもそも元号の存在を知らなかったなんて意外ですよね。
以上が「令和の意味や由来」や「令和の選定基準・絞り込みメンバー」についてでした。
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まとめ
「令和」の元号案は国文学、漢文学、日本史、東洋史などの学識者によって考案された。
その後、菅義偉官房長官によって数案程度まで絞り込まれ、有識者懇談会メンバー、衆参議院の正副議長、第4次安倍改造内閣 閣僚などに意見聴取が行われた。
最終的には「令和」に決定し、安倍晋三首相によって4月1日に発表された。
元号という制度が存在するのは日本だけであり、元号制度の由来となった中国については、1945年の満州国の滅亡によって完全に元号が廃止されている。