豊臣秀吉は6本指という逸話、学校では習わない面白い都市伝説!

今回は「豊臣秀吉は6本指という逸話」ということで、豊臣秀吉にまつわる雑学を紹介します。
豊臣秀吉は農民の家に生まれながら、出世に出世を重ねて1590年には天下統一を果たした人物として習いましたよね。

一方で、学校では決して習うことのない豊臣秀吉の逸話に「豊臣秀吉は6本指だった」というお話があります。
これは単なる都市伝説ではなく、実際に根拠となる文献が残されているのです。

豊臣秀吉は6本指という逸話

豊臣秀吉指6本
それではさっそく「豊臣秀吉は6本指」という逸話について解説していきます。
歴史上の人物には様々な逸話が残されていますが、豊臣秀吉は特に様々な逸話があることで有名ですよね。

皆さんも「一夜で城を建てた」「懐で織田信長の草履を温めた」などの逸話は聞いたことがあるかと思いますが、意外と6本指の逸話については学校で教わらないのです。
それでは、豊臣秀吉の指が6本あったというエピソードはどこからやってきたものなのでしょうか?

証拠1:ルイス・フロイスの日本史

豊臣秀吉の指が6本指だった事を示す証拠の一つ目は、ルイス・フロイスが残した「日本史」という文献です。
ルイス・フロイスはポルトガルの宣教師であり、イエズス会の一員として戦国時代の日本にキリスト教を布教した人物ですね。

そして、ルイス・フロイスが日本での布教活動中に執筆した「日本史」には、豊臣秀吉について以下のように記されています。
『優秀な武将で戦闘に熟練していたが、気品に欠けていた。身長が低く、醜悪な容貌の持ち主だった。片手には六本の指があった。』

散々な言われ様ですが、確かに「片手には六本の指があった。」という記載があるんですね。
これは、逆に外国人だったからこそ、このような記述が残せたということが考えられます。

仮に当時の日本人が豊臣秀吉に対してこのような悪口を綴った文献を執筆すると、すぐに打ち首にされて文献ごと抹消されてしまいますよね。
また、権力者の力によって都合の良い事実ばかりを世に残すことも出来ます。

しかし、ルイス・フロイスという外部の人間によって客観的に書かれた文献であることから、多少の真実味は感じますよね。

証拠2:前田利家の国祖遺言

豊臣秀吉の指が6本指だった事を示す証拠の二つ目は、前田利家が残した「国祖遺言」という文献です。
前田利家は豊臣秀吉の重臣であり、五大老の一人だった人物ですね。

「国祖遺言」は加賀藩の藩祖であった前田利家の実績を、後世に伝えるために綴られた言行録となっています。
そして「国祖遺言」によると、前田利家は豊臣秀吉について、以下の発言をしたことが記録されています。

『大閤様ノ右之手オヤ由飛一つ多六御座候』
意訳:太閤様の右手には、親指がひとつ多く6本あった

豊臣秀吉の重臣であったことから、秀吉が不利になるような発言をするとは思えませんよね。
しかし、この文献のタイトルが「遺言」となっているように、これは前田利家が亡くなる前の言行録となっています。

そのため、最後の最後にはありのままの事実を後世に残そうとしたことも考えられますよね。

農民として生まれた影響?

当時の日本では、奇形で生まれた赤子は殺されてしまうことも珍しくありませんでした。
また、武家に生まれた子供は、必要の無い指を幼児期に切断してしまうこともあったそうです。

そのため、農民として生まれた豊臣秀吉だったからこそ、大人になっても6本指のままだったと考えられます。
普通は幼児期に切り落としてしまう指ですが、秀吉が武家の人間として出世するのは青年になってからなので、敢えて切り落とさなかったということですね。

また、武家であれば技術の高い医療を受けることが出来ますが、農民にはお金がなくまともな医療は受かられなかったのかもしれません。
指の切断に失敗してしまい、感染症などになるリスクを考えれば、農民であった秀吉が無理に指を切断する必要もなかったと考えられます。

なぜここまで記録が少ないのか

当時の武家の人間としては、6本指というのはかなり珍しいことです。
それでは、なぜ6本指の記録がここまで少ないのかというと、やはり豊臣秀吉が権力者だったことに関係があります。

当時の日本では指が6本あるなど、身体的障害のある人間に対しては、差別や偏見の激しい時代でした。
秀吉も出世をしていく過程で6本指を気持ち悪がられたり、差別を受けることも多かったことでしょう。

そのため、秀吉がひどくコンプレックスを感じて、後の世に自分の不利になる記録を残させなかったことが考えられます。
また、時の権力者であった秀吉に対して、部下たちが忖度をして敢えて6本指に関する記録を残さなかったことも考えられます。

現実的に6本指はあり得る?

そもそも、現実的に6本指に生まれてくることはあり得るのでしょうか?
実は現代でも「多指症」と呼ばれる指が2本以上に形成される病気があり、豊臣秀吉も多指症だったと考えられています。

親指が2本になって生えてくる症状が多指症には最も多くみられ、秀吉の場合は手でしたが、足の指が2本以上になることもあるそうです。
そのままにしておくと様々な合併症を引き起こすことから、現代でも余計な指を幼児期に切除することが多いんですね。

そして、多指症は先天性の形状異常の中ではさほど珍しいものではなく、その多くの割合を占めるそうです。
現代では1000人に1人の程度の割合で発症するため、豊臣秀吉が多指症だったとしても全くおかしくはないんですね。

以上が「豊臣秀吉は6本指という逸話」についてでした。


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まとめ

豊臣秀吉は6本指だったという逸話が残されている。
その証拠となる文献にルイス・フロイスが残した「日本史」、前田利家が残した「国祖遺言」がある。
普通は幼児期に切除するが、農民であったことからまともな医療が受けられず、指が6本のまま成長したと考えられる。
現代でも多指症は珍しい病気ではなく、1000人に1人は発症することから、豊臣秀吉が多指症だったこともあり得ない話ではない。